こんばんは。
チェスター・ベニントンが死にました。
自殺だそうです。
リンキンパークは数少ない僕の好きなバンドの一つで、僕にとってその魅力の大部分はチェスターの歌だった。
生まれ変わったらチェスターの声になりたいと思っていたし、なんなら姓もベニントンがいい。
高校時代の友達に教えてもらって、CDも全部借りて、YouTubeで「Faint」のライブ映像を何度も見返していた。
音楽的にもいわゆる「ラップ・メタル」と打ち込みの多用、それから作られる「歌モノ」は僕にピンズドだったし、リンキンが僕の音楽性の一部を作り上げているのは間違いない。
リンキンと一緒にリンプとかもよく名前が上がるけど、僕はリンキンの「歌」、チェスターが好きだった。
僕はまだ21年しか生きていないので葬式も曾祖母(寝たきりで話したこともなかった)のしか経験がない。
芸能人の訃報も、いまいち知らない人のばかり。
僕は、"死”に対する経験が浅いのである。
チェスターの死は、深夜、ニュースが出てすぐにTwitterで知った。
取り乱したりはしなかったが、かなり動揺した。
こうやっておれが歳を取る中で、人が死んでいくんだよな
— こういち (@outofgokudou) 2017年7月20日
僕が歳を重ねれば、それだけ他の人も、僕の大好きな人達も歳を取っていく。
そして当たり前だけど、最後には必ず死ぬ。
この先生きていく中で、数え切れないくらいの人の死に向き合っていかなきゃなのも分かってはいた。
それでもこうして、自分の好きな人が本当に死んでいく現実は衝撃的だった。
この話はUVERworldの新譜『TYCOON』の楽曲とも親和性があると思うので、アルバム聴いたらまた書きたいと思う。
また、このチェスターの死が色んな所で話題となっているのは言うまでもない。
その中から一つ、SiMのMAHのブログ記事を取り上げたい。
この記事、ロックミュージシャンの死について、間口を広く取ってとても丁寧に書かれている。
彼の知的さが表れたいい記事なのでぜひ読んでみて欲しい。
記事中で彼は、自殺の後に残された人びとの苦悩の観点から自殺を否定している(自殺を全否定はしていない)。
確かにこれは理解できるし、一般的にはこうした考えが自殺に対しては通説なのではないかと思う。
でも僕は、チェスターの死に触れてもこうは思えなかった。
チェスターですら自殺しなきゃいけないこの世界、存在する意味ないだろ
— こういち (@outofgokudou) 2017年7月20日
こんな考えは間違っているし、誰からも否定されるだろうし、青臭いガキの発想なことも十分自覚している。
それでも僕は、チェスターが自殺しないといけないこの世界が許せない。
それに関して彼の自殺が否定されるのも本当に許せない。
言ってしまえば、
「チェスターなんかより死ぬべき奴らが腐るほどいるのに、どうしてチェスターなんだ?」
間違った、狂ったことを言ってるのは分かっちゃいるけど、それでもこう思ってしまう。
結局、僕はチェスターを、「リンキンパーク」のライブを見る機会を永久に失ってしまった。
なんかリッチーコッツェンが来日するって話聞いたんだけど、チェスターの件の直後なので見に行こうと思う
— こういち (@outofgokudou) 2017年7月21日
「いつか必ず人は死ぬ」「その死が今この瞬間に訪れてもおかしくない」
ありきたりな言葉だけど、この言葉を言い古して聞き古して、そのあとでやっとそのメッセージの普遍性に気がつけるという、不思議な構図。
こうした死生観は自分が死ぬまでずっと考え続けなきゃいけないんだろうね。
では。
こういち